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 ー制作背景ー 

 私がコンセプチュアル・アートの思潮と親近性をもつ現代作家として制作に取り組むようになったきっかけは、小さな社会に排除された経験からだ。
 生まれつき顔に痣があり、初めての化粧はオシャレのためではなく「肌色」を作りマジョリティに擬態し、溶け込むことを目的としたものだった。
また、性自認や性的指向が年齢・環境と共に流動しており、現在も定まっていない。

 人は未知のものに対し過敏で時に排他的だ。誰もが何かしらの当事者であり、社会に属して生きていく以上、無意識下で差別をしたりされた経験は誰もが有し、私もそのうちの一人だ。
 私たちは自己が保有する無意識の加害性とどのように向き合っていくべきなのか。その問いに自身の経験から成る作品を介して、鑑賞者と議論や時には同じ背景を持つ者たちとの連帯を展開していく「機会」をうむコネクターになりたいという思いで活動を行っている。



 取材対象の選択とプロセスにウェイトを置いた表現や作家に感化され、自己のマイノリティ問題を根幹に制作していたところ「人と違うことを武器にしてはいけないよ」と指摘された。人と異なる=あたりまえだからだ。
 その助言を受けて、自己と他者の近似性や表裏一体性に着目するようになり、写真やブロックノイズ、低解像度の画像を用いたモザイク表現へ変遷していった。ここでのモザイク化は素材を分解し再考する手段や、私たちが無意識に働かせてしまう先入観を抑制する役割を担わせている。 

 モザイクといっても、石やガラス、貝殻などの小片を寄せ合わせてつくる古典モザイク(装飾美術技法) でなく、デジタル技術を併用した表現の試作を重ね、2016年頃「彫るモザイク画」を編み出した。
 主に肖像画を描き点描画のような細かな粒子は個人を、その集合体で社会を表現し、境界線を「彫る」行為は個の強調や区別、マイノリティな存在を刻み込むといった意図で用いる。調和や連帯を示したい作品は、意図的に彫らない選択をとっている。
 仕上げに金継ぎを模した金属色の流し込みを行うことで、再生や修復、個の集まりの連帯などさまざまな意味を持たせている。本物の金を用いない理由に、物事の表層ばかりを気にする「見た目で判断しがち」な私たちへの問いかけがある。

 私たちは自己が保有する無意識の加害性について、日々どう向き合い対処していくことで健全なコミュニティを形成できるのか。時に自己開示的な作品を交えながら、社会と多様な個人のありかたについて、私は鑑賞者と相互に作用し合い議論や連帯、気づきを促す機会を生む表現を目指している。

 ーモザイク画への変遷ー 

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